2011年04月04日

仙台に行ってきました。

年度末の慌ただしい時期に、新潟経由で仙台へ3泊4日で息子の様子を見に行きました。
仙台に行ってきました。
(磐越道猪苗代から見る磐梯山(会津富士))

今回の仙台行きは、地震が起きる以前から計画していたことで、今後の息子の進路について話し合う予定で、3月19日~21日の行くことにしていました。そんな矢先に東北地方の大地震に見舞われ予定が大幅に狂ってしまいました。

大学野球に夢膨らませ、東北の地に進んだのですが、1年の終わりに肩を壊し、完治するのに相当の時間を要するということで、泣く泣く野球を諦めざるを得ませんでした。そのショックもあり、1年間休学してしまいました。
仙台に行ってきました。
(息子の下宿先)

今後のことを話し合うために、仙台に行った次第です。やはり、復学するまでのエネルギーが備わっていなかったようです。今後は、沖縄に戻り編入学して一から出直す事にしました。沖縄の編入学試験はもう終わっており、これから編入学というのは難しいようですが、今回は地震のこともあり、これから試験が受けられるか検討してみるとの大学の返事でした。

そんな状況での仙台行きでしたが、仙台市内(内陸側)でも地震後の厳しさがかいま見られました。建物被害は、一部外壁仕上げの落下、ガラスの飛散等見受けられましたが、大きく損傷している建物は、見る限りにおいてはありませんでした。しかし、ライフラインが復旧せず、当たり前に生活が出来ない状況が未だに続いています。

ガスが復旧していなくて(まだ目処が立たないようです)風呂には大変不自由しているようです。息子も1週間入っていないとのことでした。銭湯は、整理券を発行して対応しているとの事ですが、その整理券も午後1時頃には無くなり、それから2時間以上待ってやっと風呂にありつける状況のようです。飲食店もガスが無いので閉まっている店が多く、開いていてもガスを使わない料理のみ扱っていました。一部ガスボンベを使った簡単な料理がある程度です。

JRも未だに動いていなくて、バス停には長蛇の列が出来ていました。毎日何時間も並んで出勤しているんでしょうね。大変です。バスも本数を減らし運行しています。最終も8時半頃には終わってしまいます。

コンビニも、11頃から開いて夕方8時頃には閉まります。商品も少なくたばこにいたっては商品ケースが空っぽでした。スーパーでは一時期行列が出来ていたようですがそれは解消されてきているようです。品数は大分揃ってきているようですが、それでも商品棚はガラガラのスペースが多く見受けられられました。

水害のない仙台でも普段の生活、活気が戻るまでには、まだまだ時間がかかるかもしれません。



Posted by 普天間320 at 00:12│Comments(0)
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。